いのちを守る親の会(いのちは素晴らしい)

お腹の中の赤ちゃんと妊婦さんを守る一般社団法人です。

~むかえびとである私~助産師という仕事

 

この画像は受胎12週の赤ちゃんが   
お母さんを信じて遊んでいる光景(動画)です
 (見たことがありますか?3分9秒から登場します)
  https://youtu.be/Ui5fbhyFE9o

 

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いのちを守る親の会京都本部
★年間100人以上の赤ちゃんを救っている24時間365日体制の救命センター。影響としては、そのインターネット網により「100万人以上」がアクセス。年間1000人以上のお腹の中の赤ちゃんや妊婦さんが救われていると評価されています。 もしかすると、お近くで 赤ちゃんの いのちが「SOS」を発信しているかも知れません。可能な方「救命サポーター(窓口・拡散者)、宣伝者となって下さい。お願いします。」


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助産院院長であり、助産師でもある、澁谷貴子先生から、今、悩んでいる全ての妊婦さんへ。その尊い体験から出た温かい言葉を、妊婦さんやパートナ。その周囲の皆様へ、メッセージとしていただきました。

 

「むかえびと」と「おくりびと 
      ~むかえびとである私~                                 
               しぶや助産院院長 助産
          澁谷貴子
                     
助産師という仕事

 私は、物心がついた頃から、
  赤ちゃんがたまらなく好きだった。

ぽちゃぽちゃしたほっぺに、つぶらな瞳。

笑顔で話しかけると、笑顔を返してくれる、まさに天使だといつも思っていた。

将来は、赤ちゃんに携わる仕事につきたいと、いつしか自然に思うようになっていた。当時、中学生だった私に母が、こう言った。

「赤ちゃんがそんなに大好きなら、あなたの傍らに、あなたの一生にいつも赤ちゃんがいる!そんな仕事があるわよ。助産婦という仕事。命をこの世に迎える時に、絶対に必要な人。そして、女性にしかできない、女性のために尽くす仕事」

おさげ髪が可愛いく、まだあどけなかった私は、何も迷わず助産婦になることを決めた。

それが、どれ程重く深く、どれ程、崇高な仕事であるかも知らずに。

助産師とは、「厚生労働大臣の免許を受けて、助産又は妊婦、褥婦若しくは新生児の保健指導を行うことを業とする女子」のことである。

古くは「取り上げ婆」(とりあげばばあ)、戦前は「産婆」(さんば)、戦後は「助産婦」(じょさんふ、じょさんぷ)と呼んでいたが、2002年3月1日に従来の「保健婦助産婦看護婦法」が「保健師助産師看護師法」に変更された際に、看護師や保健師とともに助産師に名称が改められた。助産師には医師と同様に開業権(名称:助産院)が認められている。
世界の分娩に関する歴史を見ても、助産師は聖書にも登場し、太古の昔から存在する仕事である。日本においては、大名行列を平然とよこぎっても、おとがめなしだったのは、産婆だけだ。

明治になり初めて 自転車に乗ったのも、産婆である。

「取り上げ婆」(とりあげばばあ)、「産婆」(さんば)というように、「婆」の文字が職業に強烈なイメージを与えているため、若い女子は、助産師になれないと思っている人も未だに存在する。

ある長老の助産師が、「『取り上げ婆』は、大切な命を取り上げる智慧者という意味なのよ。」と教えてくれた。

現代では、助産師の資格を取得するには、様々なルートがある。大学院に進学し
修士課程を修めるとともに、助産師の資格を取得している女子も多く存在する。
そして、助産師は、女性のライフサイクルの各期に関わることのできる職業として、
妊娠・分娩・産褥期以外にも、思春期や更年期の女性の健康支援に深く関わっている。

また、核家族化・少子化が進み、虐待大国になった日本としては、妊娠期から女性に寄り添う事ができ、子育て支援のプロとしても、力を発揮する助産師の存在は欠かせないものである。

時には、不妊相談のカウンセラーの役割も担い、一人一人の女性に深く関わることで、母性の目覚めを起こし、虐待防止にもつながっているなど、助産師の役割は多岐にわたり、重要となっている。

●出会い


 私の助産師としてのキャリアは26年になる。大学病院に16年勤務した後、福岡県遠賀郡岡垣町に、分娩の取り扱いができる入院施設をもつ「しぶや助産院」を開業した。

大学病院時代から、約3000人の命の誕生に携わってきた。

開業後は、自然分娩で誕生する命に関わってきたが、すべての命は尊く、そして人の誕生には様々なドラマがあり、一人として、同じ産まれ方はないという事がとても神聖に思えるのである。 
         
地域で開業していると、実に様々な職種の方と出会い日々学びを受けてきた。


命が終わりこの世を去る時に、故人を大切にあの世にお見送りをする「おくりびと」としてお仕事をされている方とも出会った。「おくりびと」というと映画が頭に浮かぶ人も多いと思う。

おくりびと」がいるならば、助産師は、まさにこの世に命を迎える「むかえびと」である。

命の始まりと終わりに誰にその大切な時を任せるのか?人と人との出会いには、深いご縁があるように思う。

私が取り上げる命との出会いもまたご縁である。私は「出会いを大切にご縁を大切に」と「母も子も命が輝くように」といつも真摯にお産と向き合ってきた。

●分娩の変遷
(分娩場所の変化と助産師の役割の変化)

 

 戦前、日本は、妊婦の95%が自宅でお産をしていた。開業助産師達が、それぞれの地域で、なくてはならない存在として、大活躍をしていた黄金時代である。

その時代の助産師は、単に命を取り上げるという仕事だけではなく、深い人間関係を結びながら、様々な相談を受け、地域のおっかさん、知恵袋の役割を担っていた。

日本人の子育て文化を口承文化として伝達もしていた。1960年代に入ると、自宅分娩から施設分娩へと、産み場所が変化し、自宅分娩をする人は、50%ほどになった。

現代では、98%が大学病院、総合病院、クリニック等の施設分娩であり、助産所分娩、自宅分娩は実に2%ほどになった。

戦後のGHQ政策によって「出産はすべて施設で行われるのが望ましい」という指針が出されたために、自宅分娩から施設分娩へと短期間で産み場所が変化していった。

それに伴い、開業助産師たちも廃業に追い込まれ、勤務助産師として施設内で働くことを余儀なくされたのである。

そして、新生児が母親から隔離されるというシステムも導入された。

母親から離された健常の新生児は、施設内の新生児室で、時間授乳のミルクが与えられた。その事が、頻回の授乳によって確立される母乳子育てをはばみ、ミルク子育てを推進することになった。

充分なスキンシップができないまま施設を退院し、不安が強く愛着が不十分な母と子が地域に置き去りにされた。

それでも昔は、このような母児を地域社会が温かく見守り、援助していくという環境があったが、核家族化が進んでいる現代では、地域のコミュニケーションも充分ではないために、乳幼児虐待につながっている可能性も多々ある。
   
自宅分娩や助産所分娩では、ことさら 助産師との信頼関係は深く、マンツーマンの細やかなケアが生き届く事は、昔も今も変わらない。


助産師との関わりの中で、父親役割、母親役割を学び、大切な命を迎えるにあたり、自覚と覚悟をすることで、母親たちは
しっかりと産み育てをしていくのである。
                
●自然のお産がもたらす恩恵 
助産院や自宅分娩で何が行われているのか)

 

 現代では、正常産を多く取り扱うクリニックが日本の分娩を支えていると言っても
過言ではないだろう。

クリニックであっても「個々のバースプランに沿った自然分娩の提供」は、なされている。しかし、産科医師不足に伴い、施設に分娩が集中すると、個人のの自然な営みを大切にする事よりは、母児にトラブルが無いように出生させるという事が、ゴールになってくる。

しかも、分娩室の混雑を防ぐためには、より安全で、より時短な分娩を提供するほかない。そこで、大活躍するのが、陣痛促進剤である。

母体の体調やメンタルによって変化する陣痛の強弱は、分娩経過時間に大きく関与する。少し陣痛が遠のいてきたら、分娩の手助けをするという目的で、近頃では陣痛促進剤は、比較的 安易に使用されてきた。


陣痛促進剤を使用することで、分娩は時短されるかもしれないが、一方では、過強陣痛による子宮破裂を誘発するなど、陣痛促進剤が持つリスクも当然ある。

 助産院分娩や自宅分娩では、どんなに陣痛が長くとも、児が健康であれば、自然の営みを大切にした分娩を行っている。

陣痛促進剤は使用できない。子宮口は陣痛によって開いていくが、時には耐え難い痛みを伴うため、産婦一人で陣痛を乗り越える事は、大変なことだ。

そこで、助産師が片時も産婦の傍から離れずに、充分な産痛緩和を行っていくことで、産婦にリラックスを与え、安産へと導く。

産痛緩和には、様々な助産のテクニックがある。助産師の腕の見せ所だ。そもそも、10ヶ月の妊娠期間中に安産の身体づくりも行っているのだから、赤ちゃんと出会えるその日を心配なく楽しみに待てるのは、言うまでもない。

オリンピックの選手が、金メダルを取るのは、彼らの傍に有能なコーチがいてこそだ。助産師は、いわば、¨産婦を安産に導くコーチ¨のような存在だ。


助産師を信頼し、頼ることで、産婦の精神的不安が軽減され、安産できる環境を作りだしている。

また、産婦が傍にいて欲しいと願う人、例えば 夫や実母を産室に招き、皆がリラックスできる状況にしておくと、産室の空気がとても心地良いものに変わる。


動物は、出産の時に、命を守る安全な巢作りを必死で行う。まさに子どもを守る本能だ。人も本来はそうあるべき!どの場所で、お産することが安全なのか?誰を信頼し、誰に自分と子どもの命を預ける事が、安全なのかを、男も女も、もっと本能的に感じるべきだと思う。

 人が生まれてくる時は、様々な命のドラマが展開される。それは、家族の絆を深く結ぶためのセレモニーのような気さえしてくる。一人として、同じ産まれ方はないし、家族もそれぞれに事情が異なり、同じ試練はない。

人が亡くなる時も、たくさんの出来事が起こってくる。そして、きっと 一人として同じ亡くなり方はないのだと思う。また、人が生まれる時に抱える問題と、亡くなる時に向き合う問題も類似するのかもしれない。
                     
 私は、ハイレベルな助産技術の習得のために、度々 三重県の安保助産所を訪れた事がある。当時、95歳で、かくしゃくと分娩介助をこなし、深い愛を持って産婦や赤ちゃんに関わっていた安保先生を私は、今も心から尊敬している。

先生は若い私たちに、よくこんな話をされていた。「昔は、みんな自宅で産まれよった。病院にいくことなんて、よっぽどだわさ。男も女も、家庭をもって父母になるんだから、しっかりせんとね。

どんな人でも覚悟があったわさ。自然なお産はね。赤ちゃんに優しいの。赤ちゃんは、色んな事を何でも知っとるよ。家で産まれて、家で死ぬ時代はね、家の中に生と死が身近にあったから子どもたちは、自然と命の大切さがわかっていたんよ。朝起きたら、まず、神様を拝む。

そして、ご先祖様を拝む。そんなあたり前の暮らしが、今はなくなってしまったね。
家庭の中から、祈る姿もなくなったら、感謝する心もわからなくなりよった。情けないことだわさ。」安保先生は、99歳で家族に見守られながら、先生のご自宅で、静かに息をひきとられた。

 自然なお産は、女性の身体にも心にも、赤ちゃんにもとても優しい。

自分の身体の内なる声を聴くことで、本能にスイッチが入ると、危険が起こる事を早くに感じ取る力が目覚めてくる。

お産に向かう時、女性は産む力、赤ちゃんは生まれる力を充分に発動させることができるものだ。そこに、プラスして、産道を損傷することなく、女性と赤ちゃんを                 
最大限にいたわりながら、命を取り上げる助産技術は、習熟した助産師の手技(てわざ)である。そして、助産師のてわざを受けてお産をした女性たちは、「本当にお産が気持ち良かった。また、産みたい。」と歓喜の声をあげるのである。

 自然分娩に取り組む時、私はいつもこう思う。自然は優しいが、時には厳しいこともある。台風がきたり、地震がきたり、それも自然だ。自然の脅威を知りながら、自分の心と身体に必要な良い取り組みをしっかりとしていく事が大切なのである。

妊娠中は、とにかく元気な赤ちゃんを育む努力を怠ってはいけない。産婦が、自然なお産に向き合い取り組んでいくと、何故か、様々な試練が起きてくる。

しかし、その試練をしっかりと乗り越えた後に、命を抱くことができたなら、その試練は、深い人生の経験となり、素晴らしい魂の学びとなる。そして、女性たちは、妻から母へと、ことさら美しく生まれ変わっていくのである。信じる者は、自分と我が子、自分の夫、自分の家族。

そして、たくさんの人から支えられて、今の自分があることへの感謝、この事が次の世代を産みだすという貴重なその時期に会得できること。これが、すなわち、自然なお産の恩恵であると、たくさんの自然分娩を通して、改めて思うのである。

●エピソード

Mさんは、すらっとした面長の静かな女性だった。初めて、助産院を訪れた時、お腹に赤ちゃんがいるのに、表情はあまりなく、心が沈んだ感じにみえた。ハーブティを入れて、天使が奏でる口笛のような透明な音楽を聴きながら、話をすることにした。その時間は、ゆっくりと 彼女と私を包んでくれた。

 

 「私・・・実は、初めて産んだ子供を亡くしています。生後6ヶ月でした。本当に可愛い男の子でした。乳幼児突然死症候群。本当に突然の出来事で、ショックで何も考えられずにいましたが、家族から、『悲しんではいけないよ。早く次の赤ちゃんを産んで、悲しかったことは忘れなさい』と言われたので、私は、何も感じられずにいるのです。」と静かに語った。「それで、本当にいいの?自分の気持ちに正直になって、たくさん泣いていいと思うよ。

だって、自分の大切な子どもが突然に亡くなってしまったのだから、悲しくって悲しくって涙が溢れると思うよ。」と私は、自分の自然な気持ちを伝えた。私をじっと見つめたMさんは、しばらくして、「泣いてもいいんですよね・・・」と言いながら、はらはらと大粒の涙をたくさんこぼした。

なんだか、私はとてもほっとした。上の子どもの死を受け入れないと、お腹の赤ちゃんの命を受け入れることもできないと感じたからだ。しかも、今回のお産は恐怖の方が強くて、自力で産めないかも知れないと、助産師の直感として私の心も震えた。

 「私はね。助産師ってなんてハッピーな仕事かしらと思っていたのね。ところが、ある時、小さな赤ちゃんをお産したご夫婦がいたの。早産でした。助からない週数でね。生きて生まれたんだけれど、どうすることもできない。ママの胸に抱かせてお別れさせようとしたけれど、ママはパニックになっていて、私が抱いて小さな命を看取ったのよ。その経験から私はこう思ったの。人の命は、とても長い人もいれば、とても短い人もいるって。でも、短くても、この世に生を受けたという事は、その人がもたらした命の意味があると。   

               
あなたの赤ちゃんは、6ヶ月で突然いなくなってしまったけれど、あなた方ご夫婦にたくさんの幸せのプレゼントをしてくれたはず。亡くなった赤ちゃんの事をしっかりと受け止めて、今、お腹にいる赤ちゃんの命をもっと大切にして、一緒にいいお産をしましょうね。」と励ました。


 それからの彼女は、妊婦健診で会うたびに、とても明るくなっていった。そして、何も心配のない健康なマタニティライフを送った。


粉雪が少し舞い散る静かな冬の日、夫に支えられながら、きれいな女の子の赤ちゃんを見事に産み落とした。とても、幸せなご夫婦の笑顔が今も忘れられない。

               
●むかえびとの思い
 「私は、難産だったので、あんな思いをするくらいなら、絶対に子どもはもういりません。」と涙を浮かべながら、苦しげに語る女性たちに、数多く出会ってきた。その度に、私の心も壊れそうになる衝撃を受けてきた。命を産みだす経験ができるのは、女性しか味わう事の出来ない豊かさと幸せだ。そうであるはずの貴重な経験が、つらく苦しいものに変わってしまう事程、残念な事はない。すべての女性が我が子と出会う時に、「素晴らしく幸せだった」という思いを持てるように、出産の手助けをするのが、「むかえびとの使命」だと私は思っている。

98%が自宅分娩をしていた戦前の日本では、おそらく 女性たちの精神は強く
自分と子どもの身体に何が起こっているのかを本能的に、良く気づいていたに違いない。そして、人に頼らずに、しっかりと我が子を産むという、お産に対する強い覚悟もあったと思う。何かあったら、「医師のせいだ!病院が悪い!」と叫ぶ現代の人とは、違うのではないか。女性もその家族も、ある意味 自立していた。家族の問題は、家族で支え協力して、乗り越えていくという人々が「生きる!!」を実行する力も充分に存在していた。

今は、家族の問題を他人任せにしていても、何とも思わない人が増えてきたと感じる。

 産み場所の変化を、産む環境の変化として捉えると、人々は、大切なものをたくさん無くしてきたように思えてならない。

身体の中から湧き起こる自然な陣痛を、心と身体で充分に感じながら、産む。生まれたての我が子を離さずに、じっくりと心ゆくまで抱く。

母と子の絆は、深く深く結ばれる。そして、その喜びを共に体験した父親は、妻と子どもを守る責任を持つ。女性の産道を傷つけず、児も無傷なお産は、とても心地良いものであり、自分の力で、命を産みだしたと感じた女性は、その後の人生に大きな自信を持つ。

現代女性は、高学歴になり社会進出も来たしているというのに、何故、女性のアイデンティティを大切にした分娩を選ばないのか?不思議でならない。

もっと産む女性の権利を主張して良いのではないか!他力本願ではなく、自力本願のお産を選ぶべきだと思う。

 助産師という仕事は、単に安全に子どもを誕生させる仕事ではない。人々の人生の奥深くに存在し、与える影響力は、2~3世代にも及んでいく。

分娩のその場でしか伝わらない事がある。それは、産み方の秘儀であったり、子育ての極意であったり、女性の生き方だったり、嫁としての心得であることも・・・。

日本人の誇りとしての豊かな口承文化が根づくのが、お産のその時だ。だから、責任が重い。

そして、心から愛を伝える使者も助産師だ。お産の時は、女性の産道に手をあてるが、その温もりに愛を込める。誰も触れていない神聖な子どもの頭を撫でながら、その手の温もりに愛を込める。それが、真の『むかえびと』である。

 人生の伴侶と出会うのも、ご縁。子どもに恵まれるのも、ご縁。そして、新な命を取り上げる助産師が私であるのも、ご縁。
 
「よっぽどの縁があってのあなたと私」~「たまたま」とか「偶然」ではなく、目に見えないすべてのもののお調えの上に成り立っているのです。~薬師寺の大谷僧侶の言葉だ。   
              
そうであるならば、私は、一期一会のご縁に感謝して、幸せに満ち溢れたお産ができるように心を尽くす『むかえびと』でありつづけたい、と思っている。

 引用1)Wikipedia
   助産師 歴史 法規

 

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      いのちを守るステッカー(赤十字のステッカーのように貼ってください。)

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  「ゆめ育て」にて特集された 100万人のいのちを守る運動。

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